エンジニアとパパ育児

都内でエンジニアをしています。妻子あり。主に育児について書いていきます。

埼玉県の子どものみでの外出・留守番を禁止する条例は「百害あって一利なし」なのか

埼玉県で、子どものみで外出・留守番をさせることは「放置」で虐待に当たるとして禁止する県虐待禁止条例改正案が埼玉県議会に提案されたことが大きな話題となっている。

 

www.huffingtonpost.jp

 

10/6の県の委員会で原案可決され、定例会最終日の10/13の日に採決される予定らしい。

可決されれば2024年4月に施行されるという。

 

具体的な禁止事項

具体的には以下のようなことが該当するらしい。

  • 児童を住居その他の場所に残したまま外出する
  • 子どもだけで公園に遊びに行かせる
  • 子どもだけでおつかいに行かせる
  • 小学3年生以下だけで登下校する

 

子供が1人で放置され亡くなる事件が相次いだことを受け、「児童が放置されることにより危険な状況に置かれることを防止するため」だという。

 

百害あって一利なしなのか

上の記事には「百害あって一利なし」とまで書かれている。すごい言われようだが果たしてそうなのだろうか。この点を考えてみたい。

 

共働き夫婦にとって、難易度が高いのは下校だろう。

でも夫婦ともにリモートワークであれば、そこまで難しいことではない。

職場に「これこれこういう事情により中抜けさせてもらいたい」という話をする必要はあるが、それを認めない会社であればそんな会社は今後のダイバーシティの時代にふさわしくないし、早々に辞めるべきだと思う。

人は追い詰められないとなかなか決心できない。このようなドラスティックな施策は人の決断を促進してくれるものであり、その点でとても意味があると思っている。

よって、利の1つとしては、転職のきっかけになりえることだ。

 

他には両親との関係の改善も考えられる。

夫婦だけでは対応に困窮した場合、両親も含めては家族会議をする可能性もあるだろう。

田舎の高齢の両親は住み慣れた土地をなかなか離れようとはしない。それが免許返納の停滞や、将来的な介護における不安にもつながっている。

仮に同居、または近所に住むことになれば、色々と改善することもあるだろう。

 

PTAが登下校の見守りをするという、前時代的なシステムにもメスを入れることが出来る。

 

シッターの利用の推進も期待できる。私はたまにシッターを利用しているが、日本ではいまだにシッターに対して抵抗感を持つ人も多い。

 

埼玉県、そして国はどんな対応をするつもりなのか

当然、埼玉県や国としても無策ではないだろう。とはいえ、学童の拡充のようなありきたりな方法で十分な対応ができるわけがないことは明白である。

 

そして、大きな反感が予想されるこの条例を作ることによる狙いが、「児童が放置されることにより危険な状況に置かれることを防止するため」以外にきっとあるはずだ。

 

なぜ埼玉であったのか。

例えば、コロナ禍で発生した東京からの移住において、埼玉県は千葉や神奈川に比べて大きく後れをとってしまったが、今回の施策が将来的な移住増に向けての布石だったりはしないのだろうか。

そんな期待をしてしまうのである。

 

 

yamatogokoro.jp

 

 

実際の市民の声

大宮駅や浦和駅で聞いたという市民からの反対の声と、それに対して意見を述べてみたい。

news.yahoo.co.jp

 

あと、マンションのゴミ捨て場は1階にあって、子どもがテレビを見ているときなどに1~2分だけ残してゴミ捨てに行くことはあります。それも虐待だと言われると、子育てしていることが悪みたいですね」(5歳になるという子どもを連れていた30代夫婦の男性)

うん?夫が答えているようだが、母親が子供を見ていられる時間を1〜2分すらも作れないほどワンオペなのだろうか。よく分からない。

 

子どもだけで登下校、当たり前ですよ。うちはお使いはさせていないけど、ゴミ捨ては私だけで行きますし、短時間の買い物も留守番してくれている。それを禁止されたら生活が成り立ちません(小学2年生の男の子を連れて買い物に来ていた母親)

こちらもワンオペが原因だと思われるが、それを改善する気はないようだ。

 

 

「え、そんな条例できるんですか。子ども作るなっていう感じですね、ていうか作りたくなくなる……。もし子ども作るなら埼玉から引っ越すしかないですね」(春に結婚したばかりだという若いカップル)

パートナーがこの発言を聞いて幻滅するとは考えなかったのだろうか。

結婚をするということはいろいろな困難に直面する可能性が増えるということだ。

そして、結婚をしたらいろいろな困難を夫婦で話しあいながら乗り越えていかなくてはならない。今回の件が絶望するほどの困難ではないと思うが。